こうもとゆらぎ

君はただの童貞じゃない。価値ある童貞だ。

変則的恋愛理論!

 

「恋愛系ブログが書きたい」

 

「なんということだ! 恋愛についての話はもうネタ切れではないのか! 散々とそのような類のものを出してきたというのに……」

 

「そうだね。でも違うんだ。今までの恋愛理論はすべて僕の妄想でできた理想の作り話だったんだよ」

 

「なんだと。では『彼女をつくりたいと思っている、そこのあなたへ』も『絶対無敵、愛の告白』という二つのブログはすべて君の妄想から生み出た偽物だったということか!」

 

「まあ、そうだね。だから今回は自分の妄想を抑えて、自身が本当に思う恋愛について真面目に手掛けていこうと思っている」

 

「そ。好きにすれば」

 

 とまあ、ここまでが僕が最近、(夢の中で)友人と話したことの一端であるのだが、つまり僕はいままで真面目にブログを書いたことがない。

 それは、そのブログについて知識が不足していたり、未経験であったりといい加減な上でブログを書いてしまっているからなのだが……。

 

 しかし今回は違う。

 

 妄想抜きの

プレイ

について語ろうと思う。

 

 SMプレイ。世界に生まれる誰もが知っているその娯楽。

しかし、娯楽という枠組みではくくり切れない熱さがあるのだ。いわば一種のスポーツである。参加権利はだれにでもあって、世界の誰とでもつながることのできる、バリアを振り払った、通称〈ユニバーサルスポーツ〉なのである。

 

 ルールは簡単!

 サディズムを持った人間とマゾヒズムを持った人間の最低二人が成立条件。

 その後なにするかは本能の赴くままに。

 とても簡易な条件でお手軽なのである。しかも、道具もそろえるだけで何度でも使用可能であるから非常にエコであり、いい運動にもなる。

 あくまでスポーツ性を意識するのであれば、『一分間に何度尻を叩けるか』、『M側は声を出すと負けなど』ゲーム性を追求した個人の工夫も楽しめる。

 

 しかし、こんなにも愛溢れるものを理解できないものもいる。

 

 なぜ国連ではこの画期的なスポーツを推奨しないのだろうか。

 その答えはきっと簡単なのだろう。

 現代の世界では、人に自分がSかMかあけっぴろげにカミングアウトすることをためらってしまう風潮であるからだ。

 だから、これほどまでに素晴らしいプレイは世間では認知されているのにもかかわらず、ふたを閉じるように敬遠される。

 とても悲しい。悲しい。

 でもそうじゃない!

 SMプレイはそうじゃないんだ! 人に勧められてやるとか、自分がSかMか言うのが恥ずかしいとかそうじゃない。

 

SMプレイは心で繋がるんだ!!! 

 

 口にしなくてもSの人はMの人とMの人はSの人と知らず知らず磁石のように引き合って、心からSMプレイをするんだ! 磁石にN極なんてねぇ! あるのはM極とS極だけだ!

 

 SもMも互いを受け入れあって、一つの愛を宿すのだ。それはSMプレイに限ってことではなく、恋愛も同じこと。

 恋愛は好きと好きが重なり合ってできるもの、それは偶然ではなく、必然。

 自分の気付かないところで魂が引かれあって、気づいてことには付き合っているのだ。

 

 つまり、自分はこのブログで何が言いたいのかというと……

 

カップルのどちらかがSでもう一方がM。

 

明日から、休むことなく塾である。

でも、勉強は比較的楽しい。でも受験勉強は嫌い。

みんなも勉強がんばろう。

 

それでは、さようなら!